「ドライブ•マイ•カー」感想/世の中捨てたもんじゃないと思った、その理由 ※ネタバレあり

新しい映画、しかも邦画、はなるべくみないようにしているにも関わらず「ドライブ•マイ•カー」を観ることにしたのは、周囲の評判が恐ろしくいいこと、最近なにかと縁がある村上春樹原作ということ、何より上映時間が3時間ということにあった。

いまどき3時間の映画をつくるというのは並々ならぬ決意がいること〜興行的には2時間以内におさめた方がいいに決まっている〜で、しかも原作は短編小説というから、よほど思い入れをもって、魂をこめて作ったんじゃないかと思った。
そしてその予想は大当たりで、観た夜はドライブ•マイ•カーのことしか考えられないくらい。素晴らしい映画、そう思った。

この映画の、そして原作のテーマは、村上春樹作品お馴染みの、「親しい人を喪失後、人はどう生きていくか」だ。そして今回、掲示された答えはチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の最後、恋を失い父親に見捨てられたソーニャが、同じく恋を失い主人からも見捨てられたワーニャ伯父さんに向かって語りかける言葉を用いていた。

ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。

チェーホフ「ワーニャ伯父さん」

映画を観賞する前にこの文に出会ったとしたら、なんて救いのない結末、そう思ったかもしれない。ところが映画が、この心境にいたるまでの背景を3時間も使って説明してくれたから、ああこの後のワーニャ伯父さんとソーシャは、少なくともそれまでより心穏やかに生きていける、ということ、そしてチェーホフは、必ずしも絶望を伝えたかった訳じゃないということ、を、理解できた。

原作と映画では、異なる設定が多い。まずドライバーのみさきの母親は原作では事故死であり、映画のように母親の死の原因を自身に直接感じさせるような、そんな背景はなかった。音の死因も原作では子宮がん。家福が罪の意識を感じる必要はないように思える。

つまり映画は原作に比べてとても親切なのだ。家福とみさきが親しい人の死に責任を感じていることが分かりやすいように改変し、そして前述した「ワーニャ伯父さん」の筋についても、観客に大筋を理解させた上であの最後のセリフにいくように、工夫されているように感じた。
更に振り返ると、原作が収録された「女のいない男たち」は、どれも肝心なことが本編では語られていず、ただ別の物語を読むとそれが補完されるような、そんな作りをしている。「ドライブ•マイ•カー」で語られるべき心境は「木野」で語られているように。

だからこんなことを思う。映画「ドライブ・マイ・カー」を撮った濱口竜介監督は、原作を読んだ時、なぜ「ワーニャ伯父さん」にさりげなく言及されているのか、そして家福の取り返しのつかない、激しい後悔をきちんと理解した。一方でそれを理解できるひとがそれほど多くないだろうことを残念に思い、3時間も使って、村上春樹が伝えたかったことを、知りたいと願う人の顔を思い浮かべて、丁寧に丁寧に伝えた。

自分の親しい人を不本意な形で亡くすのは辛いことだ。ああしていれば助かったかもしれない、そう考える余地があれば、なおさらいっそう。
そしてたとえ死別という形でなくても、どうにも取り戻せない過去がある。聞いていれば、向き合っていれば、話し合えたならと悔やんで、だけどどうにもならなくて。

そんな時、人はどうすればいいのか?

そんな問いに対するチェーホフの答えを村上春樹が、そして村上春樹の答えを濱口竜介監督が、丁寧に紐解いて伝えてくれたように思う。濱口監督にいたっては3時間も使って!

その「3時間」という、ここ最近の映画にしては異例の尺に、私はとてつもない誠実さを感じた。世の中捨てたもんじゃない、商業的成功のセオリーを破ってでも、こんなに丁寧に伝えようとした人がいる。そのことを何だか私は、たまらなく嬉しく思う。



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