幸せの輪郭
子どもを持ってから、悲しいニュースに触れたときの心の解像度が変わってしまった。
子を失う痛みを、以前よりも鮮明に想像してしまう。今日もまた、うちの子と同い年の子が危害を受け、更に命を奪われたという記事を読んだ。胸がギュッと締めつけられ、思わず横で寝息を立てる我が子に触れる。
うちの子は無事に生きている。
そのありがたさを、他人のどん底を読むことで感じてしまう——その後ろめたさ。
SNSでは、この安堵を悲しみに暮れる当事者にぶつけてしまう人もいる。
「なんて性格が悪い」と呆れながら、内側には同じ感情が私にもある。ただ隠しているだけ。そう思うと、取り繕っている分だけ、私のほうが腹黒いのかもしれない。
唐突に思い出した旅がある。
最初の結婚生活に悩んでいた頃、エアーズロックへひとりで行った。
別れてひとりになるのは寂しい。だけど、子どもができたら家庭に軸足を置いてほしいと言う彼と、子育てをする未来に踏み出す覚悟がどうしても持てなかった。
「ひとりで旅ができるなら、別れても生きていける。できなかったら、なんとか続けていこう」。
そんな、自分を占うような旅だった。
けれど実際は、悩みに沈む余裕などなかった。
季節は秋に入りたてのはずなのに、猛烈に寒い。夜明け前集合のラクダに乗るツアーに参加したときは、息が真っ白で、ただ「早く朝になってほしい」とそれだけを願っていた。
そしてようやく朝日が昇る瞬間、凍える寒さが一気に和らいだ。世界が変わったようだった。
キャンプファイヤーの火も、暗闇を照らす以上に温かかった。火が燃えている間だけ、心が華やぐ。だが弱まってくると、どんどん心細くなる。温度ひとつで、こんなにも感情が左右されるのかと思った。
何より忘れられないのは、帰りにケアンズの空港へ降り立った瞬間の幸福感だ。
ただ“あたたかい”というだけで、全身がほどけた。悩んでいた夫との未来なんて嘘のように、「寒くない」というそれだけで、私は満たされた。
初めてエアーズロックを見たときの衝撃よりも、この温度の記憶の方が鮮明だ。もう10年以上前のことなのに。
幸せは、ときに不幸の影があるからこそ輪郭が浮かび上がるのだろう。
利己的だとしても、人はそのバランスから逃れることはできない——そんなことを考えた。