オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』/的を狙わずに的を射る
オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』は、ドイツ人哲学者による弓道体験記。この本が広く読まれてきた理由のひとつに、「ライ麦畑で捕まえて」の作者、サリンジャーの愛読書だったことがある。彼の最後の作品『ハプワース』には、本書で繰り返し語られる「的を狙うな」という教えが印象的に引用されている。
弓で的を射ることについて。ヘリゲルは、それは技術を磨き、精神を集中させ、その結果として命中させることだと考えた。目的があり、意志があり、そこへ向かって努力することで成果が得られるというのは、今の私たちからみても、そうだよね、という内容。
ところがヘリゲルの師、阿波研造はそうではないと言う。
ヘリゲルはこの境地が理解できず、何年も苦しむ。その過程が本書には細やかに描かれていた。
読み終えて、私は自分の演奏のことを考えた。
私はピアノとヴァイオリンでクラシック音楽を弾いている。クラシックとは、300年以上前の作品を、楽譜に忠実に再現する営み。テンポも強弱も細かく指示されている。それを正確に、誠実に再現することが絶対だ。
そして今の私を縛っているのはきっと「それをうまくやろう」という思い。
たとえば先日のピティナステップで弾いたショパンのバラード2番、なんとか展開2という級は合格できたものの練習の通りとはいかなかった。見知らぬ参加者や講評の先生たちの前で「うまくやろう」という思いが、結果的にうまくやれなかった原因だと思っている。
うまく弾こうという思いから自由になるために、もっと忠実に音楽を作曲家の意図通りに再現することだけを考えたい。そしてそのためには、結局のところ地道な鍛錬しかない。
「うまく弾きたい」という思いを手放すために、練習する。一見矛盾しているようなんだけれど、ヘリゲルの体験を読むとやはりそうなんだよなあと腑に落ちる。
そういえば世阿弥の『風姿花伝』でも、型を徹底的に叩き込み、無心で舞えるようになることの重要性が説かれている。型が身体に沈み込み、意識せずとも自然に現れるとき、芸は初めて自由になる。
読み終わりそんなことを考えたら合点がいった気がしてピアノを弾いた。練習記録を録画しているのだけど録画した途端「うまく弾きたい」にがんじがらめなのは変わらなかった。。
ヘリゲルの苦労を思い出した。ここから、ここからと自分に声をかけた。