「アンダンテ•スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」をいつか弾くということ
今日はピティナステップという、公募発表会のような催しに出た。
会場は表参道のカワイのホール、パウゼ。
ステップのおかげで3回目になるこのホールのピアノは、ショパンコンクールでも多くのコンテスタントに選ばれたカワイシゲル。どんなに緊張して失敗しても、「また弾きたい」と強く願わずにはいられない素晴らしいピアノ。
今回は出番が1番だった。
出だしは普段よりゆっくり始めたのに、本番直前にプロの演奏を聴いた影響か、途中から今の自分にはまだ扱えないテンポで進んでしまい、出来としては正直いまひとつ。
それでも、直前はかなり緊張していたわりに、落ち着いて最後まで止まらずに弾けた。また結果的に思うようには弾けなかったけれど、「前より少しできるようになっている」という実感が、確かにあった。
私の組には、強く印象に残る演奏者がいた。演奏曲はショパンの楽曲で一、二を争う難易度の《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》。プロが弾いても15分近くかかる大曲でもある。
演奏者は年配の女性だった。
白髪で、背筋がすっと伸びていて、譜めくりの女性と二人三脚で、曲をひとつひとつ確かめるように進んでいく。テンポがよく聞く速さよりもずっとゆっくりだった。ただとにかく正確で、慎重で、誠実な演奏だった。
《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》を弾くために要求されるテクニックはあまりにも自分のピアノの腕前のかけ離れているから、これまで「いつか弾きたい曲」のリストには入っていなかった。
ちょうど今日読み終えたブッツァーティの『タタール人の砂漠』のことを思い出した。将校ジョヴァンニ・ドローゴは、士官学校を出て意気揚々と辺境の砦に赴く。けれど彼は、そこで思うようなキャリアを重ねられずに、少しずつ人生を諦めていく。特にラストで描かれる「諦念」は乾いていて、人はこういう形で人生を終えることもあるのだと、静かに突きつけられる。
一方で、目の前で大曲を弾き切った女性は、きっと死ぬまでピアノを諦めない人なのだと思った。
弾きたい曲を見つけ、時間をかけて、根気よく、丁寧にさらい続ける人。
ジョヴァンニは、いつかの私に似ている。高3の発表会でピアノを始めてからずっと憧れだった幻想即興曲を弾き、とても嬉しかったけど、一方で「これ以上難しい曲はもう弾けない」という諦めがあった。地元を出て東京の大学に行けば、ピアノに触る時間なんてほとんどないし。テクニック的にも18がピークだと思っていた。
けれど48歳の私は、それから色んな縁があって、いまは幻想即興曲よりはるかに難しいショパンのバラード第2番を弾いている。
今日のことを思い出しながら《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》をもう一度聴く。
いつか弾けるかもしれない。
そう思えるだけで、人生はこんなにも豊かだな、ということに噛み締めながら、諦めてしまったジョヴァンニを残念に思うのだった。