人生の残り時間の使い方
今年の5月で49になる私は、60歳までの過ごし方を、最近よく考える。
45歳の時にピアノを再開した。きっかけは、その1年前に再開したバイオリンでそこそこの難曲が弾けるようになり、コツコツ続ければ多少の難曲は弾けるという確信を持てたことだった。そして、バイオリン以上にかつて熱を入れていたピアノで、いつか弾いてみたいと思っていた憧れの曲——それがショパンのバラード第1番だった。
完成度はともかく、1年の練習の末に最後まで弾くことができた。そのときに思ったのは、50歳までにバラード第4番を弾いてみたい、ということだった。
ところが今の私には、バラード第4番はまだ難しい。45歳の時に思い描いていた「50歳」は遠い先のように感じていたのに、実際には4年少ししかなく、見通しはずいぶん甘かったのだと思う。
つい最近もピアノ教室の先生との雑談で、「還暦までにエチュードを全曲弾いてみたいんですよね」と話したことがあった。けれどよく考えると、エチュードは全部で32曲ある。今から60歳までにすべて弾こうとすると、単純に計算して毎年3曲ずつ仕上げなければならない。
そう考えたとき、ふと気づいた。
還暦は、10年と少し先のこと。
もう「ずいぶん先」と言えるほど遠くはない。
そして自分はエチュードにすべてを費やしたいわけではない。
20歳の頃に思い描いていた「還暦」と、もうすぐ49歳になる今の自分が思い描く「還暦」は、まったく違う。残り時間は、思っていたよりもずっと具体的だ。
だからこそ、何にいちばん時間を使いたいかを、きちんと考えたい。
子どもに何かを残したい、という気持ちはある。けれどそれとは別に、もっと広い意味で残したいものがある。
自分がこれまで触れてきたものの中で、本当に良いと思ったものを——本でも、映画でも、音楽でも、場所でも——できるだけ多くの人に届けたい。
そしてそれは、ただ情報として残すのではなく、言葉として残したい。なぜそれが良いのか、どう自分の中に入ってきたのか。そういうことを丁寧に書くことで、知らなかった誰かがそれに手を伸ばすきっかけになればいいと思う。
そんな文章を、これから積み重ねていきたい。
形はまだはっきりしない。どういうふうに書くのか、どうやって届けるのか、今はまだわからない。
ただ、こうして考え始めた時点で、きっともう、すでに始まっている。