「好き」の抽象度が高いと得する話
学生時代に出版社でライターの仕事をしていた。ゆくゆくは小説家になりたくて、だから足がかりにと選んだのがライターの仕事。
当時100万部近く売れていた雑誌に携わっていて、手がけた記事も読者アンケートで上位を取った。ただ、どうもやっていることと夢が近づいた気がしなくて、いつまでたっても小説家になれない自分がとても残念だった。
ライターの仕事の傍ら、収入の足しにとはじめたのは「モノカキ」とは程遠いコールセンターの仕事だった。頭にはいつも小説家になりたいというのがあって、だから生活費用を稼ぐため以外の魅力を見出してなかった。
にも関わらず、その後オペレーターからマネジメント側にまわり、あれから10何年、ほぼ一貫してカスタマーサービスの仕事をすることになる。
アラフォーになった今、学生時代のように、小説を書きたい!という思いは未だにあるし、いつか世の中に自分の手がけた本を出すのは人生の目標のひとつ。ただ、だからといって現状の自分に、当時と違い特に不満がない。それは「好き」の抽象度があがったことが大きい。
私が「好き」なのは、自分がした何らかの行為によって、世の中や人に、何か良い影響を与えること。だから自分がマネジメントしたチームの成績があがると嬉しい。諸々の改善活動によってお客様にポジティブな効果があると嬉しい。そしてたとえブログの文章やTwitterの呟きひとつであっても、誰かに何かをはじめたり変わるキッカケになったと言われると嬉しい。そう思うようになった。
要は私が好きなのは人や世の中に何らかの影響を与えることで「小説」というのはそれを実現するための一手段にすぎなかった。
だけど20代の私は手段と目的を履き違え、小説家以外の仕事は何か違う、そんな違和感を持って世の中を少し残念にみていたように思う。これはすごく損なことだ。
ちなみに身の回りで「好き」の抽象度がいちばん高いのは私の彼だ。彼は「成長すること」が好きなのだという。これくらい「好き」の抽象度が高いと、何をしてもすごく楽しい。そう思う。
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