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makicoo — essays 2017–2026

2021/7/13-14 第二次世界大戦中でも豊かに暮らす方法

2021-07-17 / 考えごと・人生 / 日記

この2日間は子が熱を出し、いつもなら病児保育を頼むところがこのところの全国的なRS流行の影響を受けて確保できず。。そのため自宅勤務 with kidsとなった。

やってみて分かったのは、1年前の保育園が一斉に閉鎖した、最初の緊急事態宣言時の自宅勤務 with kidsより、格段に仕事ができるようになっていたこと。そして格段に仕事ができるからいっそう、邪魔されると途端にストレスになることだ・・

邪魔されるものだと思って邪魔されるのと、ひとりあそびしてくれるものだと思って邪魔されるのでは、イライラの度合いが違う。娘ちゃんからすればひとり遊びができるようになったことによって、イラつかれる可能性が高まるわけで、ほんとそれは理不尽だなあと思う。

最近第二次世界大戦中前後に書かれた本を読むことが多く、よく自分がその時代に生まれていたら、どうサバイブしただろうかと考える。私が一番嫌なのは衛生環境が悪い中で食うに困る生活をすることだ。だから三木清の最期(不衛生な刑務所にとじこめられたまま、ろくな食事も与えられず獄中死)を知ると本当に気の毒で気の毒でやるせなくなる。。
一番幸福そうな戦中戦後を過ごしたのは、私が知る中では作詞家の安井かずみだ。1939年生まれなのに戦争があったことすらあまり意識しなかったということを知り、そんな人がいたんだと衝撃を受けた。それ以来ずっとそのことが頭にある。「勝因」は彼女の実家が裕福だったこともあるけれど、農家の親戚がいたり横浜住まいといっても郊外だったことが大きいように感じた。今戦争が起きたら私は迷わず実家の仙台に行き、鶏を買い、野菜を育て、ひもじい思いをせずに生き延びることだけを選択する。

一方で頭に思い浮かぶのは、2011年東日本大震災の時に公共交通機関が一斉に止まり、帰宅する人々が甲州街道の歩道を埋め尽くしたのを当時勤めていた会社の窓から見下ろしたこと、そして2020年、一回目の緊急事態宣言でお店がどこも閉鎖され、人がすっかりいなくなってしまった渋谷のことだ。今思うとまるで夢みたいな光景なのだけど、その当時はそこまで違和感を感じなかった。正確に言うと、強烈な違和感を感じたものの、すぐに慣れてしまった。

だから、いざ戦争、となったら、そういうものだ、と、案外適応するのかもしれない。不幸なのはきっと、衛生的で食べ物が豊富にあることが当たり前、という価値観から抜け出せなさそうな私みたいな人間だ。あらゆることから執着を手放すことの方が、より本質的なサバイブの鍵なのかもしれない、そんなことを考えた。


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