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makicoo — essays 2017–2026

セクハラの罪

2020-09-01 / 考えごと・人生

フェミニズム的な運動にカチンとくることがあり、我ながら不思議だったのだけど、先日過去の記憶がふとよみがえり、そのいやな感情の袂が分かった。

大学生の頃、ライターの仕事をした。それまで飲食店のバイトがメインだった私にとってそこはとても華やかな世界で、出入りする出版社のエレベーターで芸能人やモデルとすれ違う時、自分も華やかな世界の仲間入りをしたような、そんな浮かれた心持ちだった。

ただ残念ながら、その世界にもう一歩足を踏み入れるには、「女子大生」という肩書をもっとうまく使わないといけない、そう感じることがあった。
担当編集者や取材先からの「お持ち帰り」のお誘いを断ったらその後一切誘ってもらえなくなったばかりか外された、といった話を何度か聞いた。私も、とある方を取材した時に膝に手を置かれ、不快だったので体の位置をズラしたらご機嫌を損ね、その因果かは分からないけれど、次の取材担当を外された、というような、そんなことが何度もあった。

あのまま膝の手を許容していたら、と自分の選択を残念に考えることがあった。ただそれはその後ずるずると続いていき、不本意な関係を強要される恐れがあるように思って、私はそれが怖かった。
そんなスタンスの私に対して「マジメすぎ」「ノリが悪い」そう私に言ってきたのは主に女性の同業だった。そして編集者やキーマンと肉体関係をもち、その後チャンスを手にする人たちをみて、「ズルい」と思わなかったといえばウソになる。

最近のフェミニスト、と名乗る人たちの中の一部に、私はかつての彼女たちをみる。「若い女」を使って仕事をしたからこそ、「若い女」の賞味期限が切れた後、愕然とするのだと思う。そのショックはその「チャンス」を指をくわえてみていた私以上であることは容易に想像がつく。

心の奥底でちょっと胸がすく気持ちがある。それは肉体関係に繋がりそうな行為を拒否してきた私が抱える心の闇。もっと気楽に考えられればいいのに、あの時そう何度も思って、だけどできずに「マジメだね」そう苦笑いされた記憶がよみがえって。

「セクハラ」は女と女の分断も産む。どうかこの負の連鎖は私の代で終わりにしたい、同じく「女」である娘の背中を眺め、心から、そう思う。

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