マティスとルオー展/お涙頂戴は感動を増幅させるということⅡ
「ルオー」を「ルソー」と空目して、勘違いしたまま足を運んだ「マティスとルオー展」。「ルソー」は大好きな画家だけど、「ルオー」は特に好きな訳ではなかった。彼の黒い線どりが特徴的な作品は、印象には残るし個性があるとは思う。ただたまにちょっと似た傾向の絵を描くピカソのそれの方がずっと洗練されていると思っていた。
だからこの展覧会にいったのはものすごく偶然、というよりアクシデントに近い。
「マティスとルオー展」は、マティスとルオーの作品の展示と、2人の交わした手紙の紹介で構成されている。
マティスは1869年生まれ、ルオー1871年生まれ。ちょうどモネやマネ、セザンヌといった画家達が「印象派」というジャンルを切り開いていたあたりにこの世に生を受けた。いつしか画家を志すようになったマティスとルオーは、妙に意気投合して、書簡を交わす仲になる。最初は「画家を志す同士」といった具合で、この展覧会に出したいが締切に間に合わない、どうしたらいい、や、こんな展覧会があるよ、であったり、他愛もない。
ただいつしか二人は人生の厳しさをも分かち合い、そして助けあう仲となった。第二次世界大戦中、絵画制作に必要な油がないと嘆くルオーに、マティスは二度も自分のなけなしのストックを分けた。絵の展示が「贅沢」とされ、画家としての活動がままならないさなかに、雑誌の表紙を描くという仕事すら二人で分け合った。何より親しい人がナチスに拘束されてしまうという状況下において「きっと大丈夫だ」とお互いを励ましあった。
そしてある日マティスはルオーにこんな手紙を送るのだ。
「親愛なるルオー
マーグ氏が「黒は色である」と銘打った展覧会を彼の画廊で開くそうだ。
そのタイトルに恥じないような、黒に関連した絵画作品の紹介を彼は望んでいる。僕はあれだけ頻繁に黒の「刻印」を巧みに用いてきた君こそ、この展覧会に参加すべきだと思った。」
ジャクリーヌ・マンク「マティスとルオー友情の手紙」
それに対するルオーの返答はこうだ。
(前略)
君が前回の手紙で言っていた「黒は色である」というのをすべての出発点にしようと思う
ジャクリーヌ・マンク「マティスとルオー友情の手紙」
偉大なる友人マティスは、ルオーの創作に重要な掲示を与えた。このやりとりがされた1946年以降のルオーの絵に刻まれた「黒い刻印」は、迷いが消え、そして以前に比べてその黒い線にもっと強い意思をもっているかのように私は感じた。
私はこれまで作品の外にある情報なんて、絵画をみるにあたって、特に必要と感じたことはなかった。
ただマティスがルオーに与えた「啓示」を知った後にみるルオーの絵は、ずいぶんと印象が違う。マティスがルオーが好んで使っていた黒い線どりを「黒い刻印」と表現したこと。ルオーがマティスが何気なく書き送った「黒は色である」というフレーズに、ルオーが「すべての出発点にしよう」と書き残すほどの感銘を受けたということ。それを知った後にみるルオーの「黒」はもはやただの線どりではなく、そしてその源となったマティスの言葉を反芻していくうちに、突き上げてくるような感情に、私は強くゆさぶられた。
展示の最後は死の直前に書かれたマティスのこの手紙と、彼の遺作になった大聖堂の映像で締めくくられる。
親愛なるジュルジュ・ルオー
君の訪問が僕にとってどれほどありがたかったか、喜びとともにお伝えしたいと思う。若かりし頃の様々な瞬間に舞い戻った心地だった。おそらく、もうこのように思い出が蘇る機会は二度とやってこないだろう。心からお礼を申し上げたい。
ここに僕が書くことを絶対に聞いて欲しい。君は眠らなくてはいけない。睡眠さえ十分にとれば、心はずいぶん落ち着くし、力もますます沸いてくる。これはいつだった必要なことだ。だから、古い仲間の言葉を聴いて、そのやり方に倣ってほしい。
君に愛情をこめた抱擁を。
ジャクリーヌ・マンク「マティスとルオー友情の手紙」
同じ時期に活躍した画家はいっぱいいる。二人は作風も全然違う。だけどマティスはルオーを選び、ルオーはマティスを選んだ。生涯を通じてお互いを励ましあい、後世に残る素晴らしい作品を残した。死の床に伏せながら、それでもマティスはルオーの体調を気遣うほどに。
そんな事実を知ってしまうと、ルオーの絵にはマティスの、マティスの絵にはルオーの愛が宿っているように思えてならない。そして彼らの絵画とその友情の物語は、展覧会に訪れてから数日経った今も、私の心を強く、強く、ゆさぶり続ける。