自分以外の誰かに宛てた言葉
中居くんの引退声明をみた時の違和感はすごかった。中居ヅラとはなんだ?しかも前半と後半のテンションの差。職業柄、謝罪文の作りには敏感だ。鉄板の内容とは程遠い。
が、少し調べて分かった。中居ヅラとは、中居くんのファンダム(ファンの愛称)のこと。タイプロをキッカケにアイドルの世界をかじったから理解できた。旧SexyZoneのファンはセクラバと名乗り、新生timeleszにはsecondsというグループ公認の呼び方がある。そして中居くんのファンダムは中居ヅラ。ラジオの番組から出てきた言葉で、2022年に始まった中居くんのファンクラブの名称も中居ヅラだった。そしてネットで私が見かけた引退メッセージは、渦中の人となってからも中居くんを応援し続けた「中居ヅラ」へのメッセージだった。
その事実を知った後にもういちど文章を読み直すと、違和感がなくなった。そしてあのメッセージ、世間の反応を鎮めるような目的で書かれてはいず、中居くんのことを応援してくれた人に思いを伝えたくて書いたんだな、と気づき、胸がいっぱいになった。それに対して経緯を知らず、それどころか知ってもなお、「被害者への配慮がない」みたいな発言をみると、やるせなくなった。
自分宛じゃない言葉の取り扱いは難しい。たとえば私にとっては、子持ちの働く女性を嗜める言葉。元々子を産むハードルになっていたのも「女性にとって子育て以上に大事な仕事はない」「子どもは誰だってママといたい」という、旧来のジェンダー観だった。
子どもを産んだら、女であるが故、子育てにフォーカスしなければならない、というのがとにかく憂鬱だった。幸いそのような価値観に囚われていないパートナーと出会い、囚われていない女性同士と繋がりながら働きながら子育てをして、今は何の不満もないのだけど。それでもタイムラインでそんなかつて自分が苦しめられた価値観に触れると心がざわつく。
ただそんな言葉も、本当は「中居ヅラ」みたいに、私に向けた言葉ではないことが多いんだと思う。そして、私が働きながら子どもを育てて楽しい、最高、なんて呟いた言葉も、色々考え子育てに集中することにした誰かの心をザワザワさせているんだろう。お互い様、なんだと思う。
SNSは難しい。自分以外の誰かにあてた言葉が飛び交う場所。ただ自分以外の誰かに届くことを躊躇しないでクリアな言葉を発したいし、その代わりに自分以外の誰かに宛てた言葉を許容したい。そして「中居ヅラ」みたいな言葉の背景を知ったら、それをささやかながら、知らない人に対しては伝えたい。それが本当の意味での「言論の自由」。そんなことを考えた。