DIE WITH ZERO 感想/「ことば」の力で世界の見え方が変わった話
時折本を読んでいると今までの自分の世界の見え方をすっかり変えてしまうような、そんな言葉に出会うことがある。私にとって、「DIE WITH ZERO」に出てくる「記憶の配当」という言葉がそれだった。
「DIE WITH ZERO」の著者はトレーダーとして成功し、資産1億ドルをこえる、アメリカ有数のお金持ちのビル・パーキンス。この本はそんな彼のお金の使い方の指針を明らかにしたものだ。
この本の冒頭に書かれていることは、多くの人が何らかの形で発信していることが多いから、誰もが一度は、どこかで触れた考え方のように思う。
・3人の子に恵まれ幸せな生活を送っていた男性が、ある日突然病にたおれ、それからわずか3か月でこの世を旅立ってしまった。命はいつまであるか分からない。今すぐ、本当にやりたいこと、大切なことをした方がいい
・経験にお金を使った方がいい
・お金のために人生の奴隷になるべきじゃない
ただその先を読み進めると、昔から知っているそれらの「した方がいい」とされる考え方が猛烈に腹落ちし、今すぐに行動したい、そう思えた。それが筆者の主張する「人生とは何か」の答えだ。
人生は経験の合計だ。あなたが誰であるかは、毎日、毎週、毎月、毎年、さらには一生に一度の経験の合計によって決まる。最後に振り返ったとき、その合計された経験の豊かさが、どれだけ充実した人生を送ったかを測る物差しになる。
(中略)
時間や金をかけて何かを経験するのは、その瞬間を楽しむためだけではない。経験は私たちに、尽きることのない「配当」を与えてくれる。それが、ルール1でも触れた「記憶の配当」だ。
(中略)
記憶は配当を生み出し、私たちの生活を豊かにしてくれる。
ビル・パーキンス著「DIE WITH ZERO」
この「記憶の配当」という言葉に触れた瞬間、自分の中にある「忘れられない経験」が自分の中に資産としてあって、そしてそれが確かに「配当」として、定期的に自分を豊かにしていることに気が付いた。
初めてひとりでみた映画で嗚咽してしまうほどに感動したこと、今のパートナーとの初旅行で泊まったホテルではしゃいだこと、子とふたりで代々木公園に行って、ピクニック気分でサンドイッチを食べたこと…。
今でも細部を思い出せるほど、くっきり記憶に残る経験が確かにある。そしてそれを思い返すたびに幸福感があるのは確かで、それは今まで気づかなかったけれど、確かに「配当」とよぶにふさわしかった。
思い返した時に幸福になるような経験を「豊かな経験」とし、更にそれを思い返した時に思い出すことを「記憶の配当」と定義する。名前がついただけで、ずいぶんと自分には既に豊かな財産がある、そう気が付いた。
更にコロナ禍で「死」が以前より身近になり、うっすらと「死」への恐れがある毎日の中で、「人生とは思い出作り、人生の価値とは死ぬ時にどれだけの思い出を持っているか」というこの著者の考え方は、私にとって死の恐怖を和らげる考え方に思えた。現時点で既に、私には素敵な思い出がたくさんあって、これを上回るような経験をこの先にして、更に幸せに人生を終えられるように生きていく。そう考えると、何だか未来は希望にみちている。
また、生きていると、どうしても思い出したくないような、イヤなことがあるものだ。その記憶や経験、シチュエーションとどう折り合いをつけていくのか、は、私が長らく考えていたことのひとつなのだけど、この本を読んで、そんな嫌な記憶はさっさと忘れて、それを上書きするようないい経験をすればいい、と随分と気楽な解決方法があることにも気が付いた。
そのほか、贅沢をしすぎると、収入が減った時に絶望感が増すだろうから身の丈にあった暮らしや体験をするのがいい、そんな風にぼんやりと思っていたものの、記憶に残るのは案外身分不相応な体験をした時の方が多く、むしろ「思い出」に残すのであれば、そっちなのではないか?そんなことも考えた。
この本を通じて知った、死ぬまでにお金を使い切ろう、思い出作りにお金を使おう、記憶の配当を受け取ろう、そんな考えに触れて、自分の中に無数のアイディアが沸いた。クラシックホテルが好きなことに気が付いたんだから現存している間にどんどん泊まろう、ずっと頭にあった自費出版をしてみよう、コロナが明けたら親と弟妹家族を招待して旅行に行こう、それから、それからetc...
自分が自分にリミッターを課し、前に進む妨げになっている多くの「常識」がある。この本は、少なくとも、私のリミッターを、ずいぶんと軽快に外してくれた。
🔗 DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール