2021/8/16 絶対に許さない人、忘れない人
Twitterでクラスメートの女子の服にカレーの染みをつけた男子が、どんなに謝っても根にもたれていつまで経っても許してもらえなくて困っている、という話がバズっていた。
私は、というと、その場でかっと怒ることはあっても、たいていの場合、怒りは持続しない。だいたい一晩寝れば忘れてしまうし、一晩たってもいらつく不快な人からは遠ざかるし、そしてしばらく関わってさえいなければ、そのうち忘れる。
思い返せば、昔勤めた会社に犬猿の仲の人がいた。ずいぶんとひどいことを言われて当時はめちゃくちゃ怒っていたのだけど、今となっては顔も名前も思い出せないくらい、そして何を言われたかもぱっと思い浮かばないくらい、忘れてしまった。
一方でそうじゃない人達のことを知っている。
たとえば最近読んでいる村上春樹の小説には、絶対に許さないし、そして忘れないだろう人たちがよく出てくる。今読んでいる「ダンス・ダンス・ダンス」にもこんな一節があった。
僕はこの四年のあいだ、その冷ややかでうす暗い影を捨て去ることに全力を傾けていたのだ。そしているかホテルに戻るということは、僕がこの四年間静かにこつこつとためこんできた全てをあらいざらい放棄し捨て去ることなのだ。
(中略)
僕はベッドに寝転び、天井を眺めながら、深い溜め息をついた。あきらめろ、と僕は思った。あきらめろ、何を考えても無駄だ。それはお前の力を越えたものなんだ。お前が何を考えたところでそこからしか始まらないんだよ。決まってるんだ、ちゃんと。
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」
四年間かけても忘れられないんだ、というところにまずどきっとした。そしてこの前に読んだ「ノルウェイの森」に出てくる直子も、結局キズキという彼女のかつての恋人が自分に何も言わず自死したことを許さず、そして忘れられないまま自分も自死を選ぶ物語だったよなあと思い返す。
カレーの話に戻る。たかが洋服でそんなに怒らなくなって、と私は思う。ただそれはその女子にとっては一大事で、何度謝られたって簡単に許すなんてできないような痛みを持っているのかもしれない。もしかしたら四年、もしかしたら一生。
そしてその分、その子は「たかが洋服」で私には想像もつかないような、このうえない喜びを感じるのかもしれない。そして「たかが洋服」と考えてしまう私のみている世界を貧しい、そう感じるのかもしれない。
交わらない生き方だなあ、と思う。ただ絶対に許さない人、忘れない人がいるのを知って認めるのは、私にとって生きやすさでもある。だからこそ「許されない」ということにずいぶんと無頓着でいられる。しょうがないこと、と自分に向けられた怒りを時に受け流すことができるのだと思う。