志摩旅行記6
志摩観光ホテルで、ラ・メール・クラシックのディナーを食べるだけの1泊2日の旅、2日目。こんな無理やりな旅に付き合わせるのだから、友人が行きたいところに付き合うよ!なんでも言って!と伝えたところ、友人が選んだ先は伊勢神宮だった。
行ったばかりというのにその行き先はとても嬉しくて、何より私と子だけで伊勢神宮には行こうと思えなかったから、よけいに、だった。
3か月前の伊勢•志摩の旅で、いちばん心に残っているのは、伊勢神宮への参拝だ。伊勢神宮・内宮の前の宇治橋で五十鈴川を越える時、少しふわふわとした、この世界を飛び出すような、そんな感覚があって、それがたいそう不思議で、ぜひそれをもう一度味わいたいなあと東京に戻ってからもしばしば思っていた。
伊勢神宮には外宮・内宮と2つのお宮があって、正式には外宮から参拝する。が、前回は時間の都合もあって、内宮のみの参拝。それが少し心にひっかかってたから、外宮から参拝できるのもすごくよかった。
賢島から伊勢市駅までは約50分、そこからバスで5分ほどで外宮入口に着く。内宮と比べて外宮はどこか開かれている。日本由来の神だけでなく、外国の神も受け入れる、そんな雰囲気。

内宮へはバスで向かった。外宮から内宮まではバスで20分、もし歩いたなら50分はかかる。知識としては知っていたけど、実際この距離感はなかなか不思議で、ふたつ合わせて「伊勢神宮」なのも。
着いた後、内宮横のおかげ横丁でさっとお昼をとり、いざ内宮へ。前回同様橋を渡る時にやはり異世界に足を踏み入れる感覚があって、ああやっぱりここは私にとって特別な場所だなあ、そう思った。
前回も、そして今回も思い出したのは、テレプシコーラという漫画の1シーン。主人公は死んだ姉がシベリウス作曲の「トゥオネラの白鳥」でバレエを踊る夢を見て、あの世とこの世の境を流れる河、トゥオネラに姉がいる、そう確信する。
フィンランドの神話で語られる「トゥオネラ」は川の水も黒く、もっとおどろおどろしい場所のように思うのだけど、漫画と、そして私の頭の中にあるトゥオネラはもっとしんとした美しさで、そして五十鈴川はまさに、あの世との境目だとしても渡るのが怖くないような、そんな美しい河だ。

鳥居をくぐり、御手洗場も兼ねている五十鈴の川ほとりでぼうと水が流れるのをみながら、今度は最近読んだばかりの宮本輝の「錦繍」の「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかも知れない」という一説が頭に浮かんだ。主人公の自暴自棄気味の元夫がこの言葉に触れたのをキッカケに過去と向き合い、そして色々と物語が動いたように思うのだけど、この「生」と「死」が繋がっている感覚があると、死ぬことが少し怖くなくなる。
娘がすっかり疲れてしまったので内宮では本殿まで行かず、五十鈴川のほとりで石を拾って重ねたりしながら、友人の参拝が終わるのを待った。これがちっとも残念ではなく、私のお宮参りとは五十鈴川を渡ることで、それさえできれば十分なのだと思った。
帰り道、伊勢橋を渡って、また「この世」に帰ってきた。

次に来るのはいつだろう?そう思いながら。